『5×20』、発売された週の内にあっという間にミリオン達成、本当におめでとうございます。
この凄すぎる記録と、5×20という最強アニバーサリーソング、そしてSONGSを経て、嵐について語りたいと思います。
私が嵐を知ったタイミングは、世間より一歩遅れていました。
それまでプリキュアとEテレを信仰していた私は、花男の人気なんて1ミリも知らなかったんです。
リアルタイムで花男をやっていた私の保育園時代、きっかけは運動会で使ったHappinessだったかな、Love so sweetだったかもしれない。
当時から仲のいい幼馴染に、「嵐って知ってる?この曲歌ってる人。」と聞かれたのが発端で。
もう初めて嵐を見たのがVSだったかしやがれだったかひみ嵐だったかも覚えてないけど、その全てを必死で見るようになるまでには時間を要さなかった。
小学生になって、それまでそんなにテレビを見るタイプじゃなかったのに、気が付いたら完全なるテレビっ子に成長していました。
嵐が大好きで、嵐と言えばコイツ、というポジションを、小2の頃には確立していた。
そんな頃には嵐は既に、5×10を発売していた。
初めてTSUTAYAで借りた嵐のCDが、5×10だったはず。
だから、嵐はこの時点で既に、10年も活動していたということで。
嵐がデビューした1999年、私はまだこの世に存在していませんでした。
私が生まれた時には既に嵐がデビューしていたわけで、私の人生約17年に嵐が存在しない瞬間はないということになる。
それって凄いことだなと、これを考える度に思う。
そしてそれと同時に、無くなると聞いて寂しいわけだなぁと妙に納得する。
私にとって、嵐は実家のような存在だと思っていて。
あるのが当たり前で、たまに帰るとめちゃくちゃ安心できて、心地いい。
好きか嫌いかと問われれば圧倒的に好きだけれど、大きな声で「好きだ」と叫ぶほどの昂ぶった感情でもない、そんな感じ。
ただ、それはあくまでも「あるのが当たり前」という思考だから生まれる感覚なのだと最近は特に強く思わされています。
5人で、歌って踊って、それを20年だなんて当たり前な訳がない。
彼らにとって、5という数字はとても大事だということがこの「5×〇」という形にもよく表されていると5×20の最後の挨拶で翔ちゃんも話していました。
5×5、5×10、5×20と続いてきたこの変わらない5の数字。
私が嵐から移行して応援のメインに置いたHey!Say!JUMPもNEWSも、メンバーが減るということを経験しているグループ。
今や全くメンバーの脱退のないグループの方が珍しい状態の中で、嵐は嵐が5人であることを常に重要視してきたということが、なによりの嵐の良さに繋がっていると私は感じています。
「大野さんが辞めると言ったらみんなで辞める」と、嵐は昔から言っていたと思います。
もちろん冗談半分だし、リーダーであり最年長の大野くんのおじいちゃんキャラありきの言葉だけれど、とはいえそれも本心だろうと幼心に感じていました。
それが実際、大野くん発信で嵐を閉じるという選択に至るわけだから、幼い私の感じていたことはきっとあながち間違っていなかったんだと思う。
SONGSを見て、一番心に刺さったのは相葉くんが入院して活動が止まってしまったという話の時の「4人の嵐を見せてしまった」という言葉だった。
嵐にとって、4人で活動していたらそれは嵐じゃない。
活動休止についての会見でも彼らは口を揃えてそう話していた。
自分がやりたいかどうかは別として、誰かがやりたくない、心が離れているとなれば、それはもう嵐じゃないんだと。
なんと力強く説得力のある言葉なんだろうと驚いたのを鮮明に覚えてる。
嵐のこういうところが好きなんだよなぁと、凄く寂しさの中で嬉しさを感じて。
もちろん、今メンバーが足りない状態で活動しているグループも応援している身だから、この言葉に苦しさを感じる自分もいる。
留学でも、療養でも、どんな理由があれメンバーが活動していないことに違いはないわけで、そんな人たちを常日頃見ているからこそ、この言葉がやけに沁みるのかもしれない。
5×10の歌詞にある
『5人でいる。ずっといる。』
というあまりにもずるい歌詞が10年経った5×20で引き継がれて、でもこれから活動休止になることは決まっているから
『僕らはずっと5人で一緒にあしたを見続けてきた』
というさらに泣ける歌詞になってしまう。この歌詞を一言ずつ歌い繋ぐのも本当にずるい。
コンサートで初めて5×20を聴いた時、一つ一つの歌詞からたくさんの思い出がフラッシュバックしてしまって、どこにそんなに水分残ってたんだってくらい泣いた。それはもうボロボロに。
5×20のアルバムを手にして再び落ち着いて聴こうと思うんだけれど、何回聴いてもやっぱり泣いてしまう。
今このブログを書くためにもう一度聴いて、また泣きながらキーボードを叩いているわけで。
ここ数年は私の応援しているグループが周年行事続きで、セクゾの5周年、JUMPの10周年、NEWSの15周年を共に過ごしてきたけれど、それは私の応援期間の問題なのか単純に重ねてきた数字の問題なのか、それとも他に要因があるのか、嵐の20周年があまりにも重みがありすぎる。
私の人生の中で言えば嵐は半分以上を占める期間私にとって核としてあって、切っても切れない関係があると思う。
でもそれでも、その嵐の半分しかリアルタイムを知らないのだから、その凄さは大きいと思う。
感動やら寂しさやらでそろそろ何を言いたかったのかわからなくなってきたけれど、間違い無く言えることは嵐が凄いということ。
きっと嵐を超えるアイドルは今後出てこないと思っているし、それは今自分がメインで応援している人たちでも同じだと思ってる。
それは能力とか、知名度とか、そういう問題だけじゃないからで。
国内のみならずとんでもない数の人たちが嵐を知っていて、しかもその凄さを認めている。
簡単に得られる評価じゃないし、同じように20年やってきたとしてもみんながみんな同じようになれるわけじゃない。
嵐の5人と、そこに20年という時間がかけ合わさって初めて生まれた現在で、それこそが5×20という式の答えなのではないかと思う。
10年目では感謝を伝えるのが少し照れくさくてまだまだ先を見据えていた彼らが、20年経って「その笑い方 その話し方 その全てが温かな仲間は きっと他にいないだろう だって… そんなやつは他にいないんだ もう」「次はなにしようか 気にしないでいいか」と優しく歌うこの10年間の確かな違い。
活動休止はもう決まってしまったことで、信頼しあった5人が5人で話し合って5人の嵐を守るために下した決断に、今更何か言うつもりはさらさらない。
ただ、この終息を感じる優しい歌詞に、今までの10年間を重ねてとんでもなく寂しくなってしまっているという話。
今の私ができることは残る一年半を最後までしっかり見届けることと、今までの感謝を伝えていくことだと思ってる。
私にとっては嵐と歩んだ10年が、最高だよ。